電子の海でダンスを

ライターの雑記帳。仕事じゃないのでゆるーく書いてます。

【日記】祖父はB級戦犯だった。

祖父は戦犯だった。

うちの父方の祖父はB級戦犯です。

 

B級戦犯?と初めてきいたときは

「???」

だったのですが、A級戦犯があるならB級戦犯もあるのかも、なるほど、Cもあるのかもな。

などと思った記憶があります。

 

というわけで、戦犯になった祖父は、戦争からかえってきてから一切公職につけず、というか公職に限らず職につけず、とても貧乏だったという話を祖母からききました。

 

祖母「優秀な軍人さんと結婚したから将来安泰と思ったら大どんでん返しだったわよ」

 

と言っていました。

 

祖父がどうして戦犯になったかという話を今日はします。

 

めちゃ賢かった祖父

うちの祖父はとても賢かったそうです。

軍学校で多分一番かなにかで、恩賜の銀時計(※勉強がすごく優秀だと天皇陛下が当時くれた)というのをもらうくらい勉強ができました。

この時計をもらうと、「銀時計組」なんて呼ばれて、出世を約束された、らしい。

 

ちなみに、当時は大学までいくことはまれでした。

大学まで行って主席を取ると、恩賜の軍刀というのがもらえたらしいですね。

 

「おじいさまも大学校まで言っていたら、軍刀をもらっていたと思うのよ」

 

なんて祖母はいってました。ふふ、祖母は身内びいきですね。

 

卒業後は海軍へ

勉強ができた祖父は、海軍へと配属されます。

ちなみに、普通は平の陸軍配属、なんかこう秀でたものがあると海軍へ行くことになる、と祖母にききました。

これが本当なら、祖父はほんとなんか頭良かったんだな~と思います。

ともあれ祖父は海軍へ。

そしてどこかの海で、自分より下の位の徴兵された軍人さんに、何か船っぽいものの操縦を教える教官になりました。

 

実は、これが何の操縦を教えていたのか、私はわかりません。

詳しくわからないのです。

とにかく船っぽいもの?の操縦を教えていたらしいということはわかっています。

 

戦況が悪くなり、そして上官はこっそりと祖父に言う

祖父は配属されてくる若い軍人さん達に、船?の操縦の仕方を教えます。

教官というやつですね。

ところで、操縦の仕方を教えたあと、教えられた若い軍人さんと教官はどうなるのでしょうか?

実は、一緒に敵めがけて戦いに行くわけです。

戦況はとても悪く、終戦近くでした。

祖父は自分が教えた若い軍人さんと一緒に、敵に突撃しに行くことになっていました。

 

上官「おい、山口。ちょっといいか」

 

というわけで、祖父は上官に呼び止められました。

 

上官「…この戦争は負ける。若いのと一緒に海に出ればお前は犬死だ。

お前は恐ろしく頭がいい。その頭脳は、戦後にいかせ、いいな、生き残ってその頭を役立てろ、いいな、山口!」

 

戦争中に日本負けるとかいう上官もすごいなと思いますが、それはさておき、祖父は、教えた若者と一緒に、海に出ることはありませんでした。

若い軍人さんを教えて、彼らが次々と敵のところにいくのを後目に、上官の計らいでいきて帰ってきました。

祖父が生きて帰ってこれたのは、ひとえに祖父が頭が良かったからです。

 

うちの父方の一族は、子どもの頭が良いかどうかをものすごく気にする人たちで、小さいころから、私は

「なんかやだな」

と思っていたのですが、この話をきいてから、もしかして祖父が頭が良くて生きて帰れたからなのかなぁと思うようになりました。

そう考えると、なんだか仕方ないことなのかもしれません。

 

祖父は冗談が好きで面白い優しい人だったと聞きます。

負けると予感していた戦争で、犬死すると知りながら、自分が教えた若者を何人も送り出す気持ちは、どんなものだったろうと私は思います。

祖父は私が生まれる前に死んでしまったので、もうその心中を知るすべはありません。

 

私はこの祖父の話を思い出す時、ヴィクトール・E・フランクルが書いた、「夜と霧」の中の文章を思い出すのです。

何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。

 

 

夜と霧 新版

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それでも人生にイエスと言う

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