電子の海でダンスを

ライターの雑記帳。仕事じゃないのでゆるーく書いてます。

【日記】祖母の兄と戦争の話

サクマドロップス ミニ寸線香 (故人の好物シリーズ) 約10g×4種

 

まだまだ戦争ウィーク(毎年8月6~15日はそんな気分なのでそのように名づけました。厳密にいうとウィークでもない)なので、覚えている戦争の話をしようと思います。

 

私は戦争の話を収集するのが好きなのです。

もち戦争映画とかも好きです。それはさておき、今日は祖母の、身内の戦争の話です。

 

 

 

母方の祖母には兄がいました。

頭の良い兄で、まさしさんと言いました。

なんていうか、運動系というより文化系というか、今でいう文学青年、いや年齢から言うと、文学少年でしょうか、とにかく文系の兄だったようです。

 

親がまさしさんに、「お小遣いをあげるよ、何が欲しい?」ときいたとき、

 

「別に欲しい物はない。…いや、やっぱり、もしいいなら、少年之友(※当時の文芸雑誌)が欲しい」

 

というような兄で、めっちゃ勉強ができる人だったそうです。

 

兄は不思議な人だった、と祖母は言っていました。

 

私「不思議な人なの?」

祖母「あの時戦争中で、私は何にも疑問に思ってなかったんだけどねぇ、まだ子供だった兄が言ったの。いつだったか、

『セツ子、この戦争、きっと日本は負ける』って。

戦争中にそんなこと言う子ども、まずいなかったんだよ」

私「確かに変わってる」

祖母「頭のいい子だったからね、何か思うところがあったんだろうね」

私「お兄さんその後どうなったの?」

祖母「学生はその当時お国のために働かなきゃでね。私ら女子は何か作ったり、男子は山へ行って薪を取ってきたり。

で、凄い雨が降った日、兄は薪を取りに行っていて、びしょ濡れになって帰ってきたの」

私「それで?」

祖母「兄はそのまま風邪をひいてね。高熱を出して」

私「うん」

祖母「何日か熱が引かずに、そのまま亡くなった」

私「亡くなったの?」

祖母「そうだよ、診てくれたお医者さんがねぇ、こんな若くして死ぬなんて、戦時中じゃなかったら、なんとかっていう薬があるから助かったのに助かったのに、っていって泣いてたって。

私はね、その時私の母に言われたんだよ。

『私が死んだら、もうまさしのことを覚えている人はおらんようになる。どうにもかわいそうだ。私が死んだら、どうかお前だけはまさしのことを覚えていて、とむらってやってくれ』って」

 

私は、そうなんですね、と言いました。

祖母は、だから毎月15日は線香をあげるのよ、と言っていました。

ちょうど15日、もう亡くなった祖父の写真が飾られた仏壇には、まさしさんの分の線香がゆらゆらと煙を上げていました。

75年間、この人はかかさずこうして毎月、まさしさんのための線香をあげていたんだろうな、と私は思って、何にも言えずに、その煙を眺めていました。