電子の海でダンスを

あたまのゆるいシナリオライターの雑記帳。

特急の仕事と時間をかけた仕事

 

仕事の面白いところは、たまに、死にそうになりながら12時間であげた作品が、3か月練って出した万全の作品に勝ることがある、ということだー。
等と思いながら今日も企画を練ったのち昼前に仮眠、その後14時~仕事の打ち合わせをしました。今日はほとんど寝ていないので夢を……見ていない……。
16時~は生徒さんのレッスン、17時~は倉庫の整理をして、

……こうして書くと、私、すごい働いている…?????

 

で、倉庫からお宝を発掘するために出向いたのですが、でるわでるわ……。
ということは、前に仕事をしていた人たち、ほぼ仕事をしてなかったということ確定であり、なんなん……と思いましたが、会社的にはまぁこれから利益を出すネタがあるということでそう……まぁいいことだが釈然としねぇな、と思いました。もー。でも利益が出そうなのはいいことだな、うん。

 

あとは23時くらいまでPさんと仕事を詰めていたのですが、まぁうまくいきそうな感じかなあ。持ってる企画、企画書だけだと反応が悪くても、絵になるとOKとなることがある、という話とか、ある編集さんがNG出しても、別の編集さんはすごいほめてくれる、なんてことがここのところ頻繁にあり、作品案に関してはいろいろ持っていくのがいいねーなんて話をしました。

あとは今抱えているすごい生徒さんの来歴から、某出版社の話になり、あれこれ思うなど。うーん編集さんも全員神様ではないから……編集者さんを信じつつ、信奉もしすぎないように…とくにはちゃめちゃパワハラされたとかの場合、自分が悪いとか思いすぎちゃだめ!!と思った。ていうかぱわはらだめぜったい。

Pさんとの仕事が思った以上に長引いたので、師匠よろしく適当なパスタを作って出したら、すごいおいしいね!!!ありがとう!!!とか言ってくれたので
「なんていい人なんだろう…」
と萌えた。

 

今日はよるにプリンパフェをおごってもらい夜中に食べた。すっごいおいしい。なんで夜のプリンパフェはうまいのか。なぞー。Pさんありがとうよ!私が仕事の詰め作業に入るとまるっきりブラック企業の社長みたいになるところとかも許してくれてありがと!!

 

最近読んだり見たりしたものについて。


結木万紀子さんの女の子二人マンガ

https://twitter.com/sogenakogena/status/1243435744619708416

これ、たぶん二人とも本人でありどちらも光でどちらも影という、自分とペルソナの対立ではなく、自分とペルソナの別々の部分のキメラ融合体が、それぞれの凹凸をもって対峙し、仲良くしてて好きだった。前のちばてつや賞の話の時も思ったけど、心情の変化を滑らかに描くのうまーいなって思う。あと彼女の中で何度も問いたいのは、関係であり家族なのかなー。

 

悪童日記の続きも割と最近読んだなぁ。

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

 

上記は課題で読んで衝撃後、続きを読んでなかったので今更読んだ。

二人の証拠、

ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)

ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)

 

 第三の嘘 

第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

 

と続けて読むと、続きなのに、転、転、こんなに続編で転々できる?みたいな感じ。
裏切り裏切りからの裏切り、すっごいうまい。

自分が自分自身に最後に決定的に裏切られる話という感想を、槙野さやかさんがどこかで書いていたような気がする(まちがってたらすまん)けど、まさにそんな感じ。1,2,3、すべて傑作だー。

そして、前述のマンガじゃないけど、人は自分の最も原始的な傷によって作品を作るんだななど思った。

 

そういえば、1巻だけ読んだ後、悪童日記の感想、宣伝会議の課題で書いたな、と思い出してメール発掘したら出てきたのではっとく。すごく珍しく私の固い文章が読めてかたーいし、いい読みしている部分があって3巻通して読むとにやにやする。あと好きなだけ書けない原稿ってこう洗練されやすくていーねー。でも今見るとかなり不十分かなあとも思う。

今日は夢日記もないし、よかったら悪童日記の原稿をどーぞ。ただし大事なところはぼかした。

 
 
 
 
アゴタ・クリストフ『悪童日記』についての原稿(20文字×60行) 
 

悪童日記、ハンガリーの作家、アゴタ・クリストフが51歳で書き上げた出世作。

この本は、悪意の世界に放り出された双子の 記録、その記録に感情は欠落している。あるのは、たんたんとした乾きだけだ。世界は双子にとって、不潔で、不親切で、下品で、卑猥なものとして存在している。

悪童日記では、悪と恐怖が常にあり、善はたやすく悪に置き換わる。特に、キリスト教的な悪が多い。不親切、同性愛、正し くない性癖、売春、殺人者、ユダヤ人。 主な登場人物たちは、上記の悪とされる要素を多く持ち、しかし、同時に善なる片鱗も見せるのだ。

悪はあるとき気まぐれに、 善に変容する瞬間がある。 同性愛者の将校は人殺しの罪をかけられた双子を救う。 旦那を毒殺した双子の祖母は、飢えたユダヤ人のためにリンゴを落とす。 兎口に性を求めた司祭は、女中を裁いた双子に、心の安寧があるように祈る。 このわずかな善は、逆に燦然と輝き、美しい読後感をもたらしているように思えた。

それにしても、なぜ主人公は『ぼくら』だったのだろう。
幼子は一人では生きられない。 だから、困難の中に放り出され、自力で打ち勝つ子どもの物語を書くとき、『ぼくら』でなければならなかったのではないかと私は思う。 困難の中にある人間は、時に自分を励ます善なる幻影を見るという。解離とも、サードマンともいうものだ。この双子の恐るべき一体感は、その幻影の救い手の気配も感じさせるものだった。実は二人は一人であり、一人がみた幻影の救い手との話ではないのかとも思えるのだ。

双子はあまりにも強い。なんのために?
それは、とにかく『生き残る』ためだから、ということに思える。 自分たちの生存を脅かさないものには、彼らは親切にする。しかし、脅かすなら、容赦なく殺す。自分たちの生き残る可能性を高めるなら、何の罪もない者を殺すこともいとわない。 彼らの判断は、二人がより生き残れるかというただそれだけに絞られている。だからこその結末なのであろう。普通は抑圧の中から外へ逃げ出すとき、 その外へのあこがれや美しさや夢を描く。しかし、ここにそのたぐいの憧れはない。 それは、抑圧された祖国から、自由の国へと逃げのびた作者が、その自由の国の言葉を好かず、不遇であったこととも関連する気がした。

より生きのびるための別離。しかし、その先がバラ色で描かれないのが象徴的な物語だ。

 

 

 

 

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