そのサーカスで一番人気があったのは、から始まる別役実のお話だが、短い物語の中ですごくよく作りこまれているのが好きなんですよね。
3回宙返りで世界で一番のキキ、内心には、誰かに抜かれてしまったらどうしようという心配がある。絶対に一番じゃなきゃ、と思う心の中には、自分に対するおそらく無価値感がある。飛ばない自分には価値がない、というような。キキは宙返りが好きかどうかも明言しない。別に好きじゃないのかもしれない。ただそこに自分の価値があるということが重要な様子。飛ぶことを求められているから飛ぶ。それが人の期待に応えることだから。
キキ、4回転を練習してみるがうまくいかない。死から現実に引き戻すロロというピエロが登場する。ここで同意すれば現実世界に戻ってこれるが、キキは拒絶。伏線①
あと、ロロ登場時にキキの父親のことが一瞬語られる。キキの空虚さは、自分の意思ではなく、父のレールを歩いているからかもしれない。そして、空中ブランコへの執着へも。そして父の死は、キキの予後も予感させるものだ。
物語は不穏さを含む、団長さんの言葉、ロロ、そして父。
そしてキキ、奇妙なおばあさんに会う。ここでおばあさんが奇妙なことは絶対必要なのだ。この奇妙さは彼女が、このキキの世界の現実から離れた存在であることを意味しているし、彼女が現れなければキキは墜落死する。状況に魔法をかける存在としての、異界のものである。
この物語の中で、もっとも物語的な存在はおばあさんであり、物語のキーマンである(おばあさんだけど)
キキが一番から転落した事実、
おばあさんはキキに選択肢を示す。
死ぬ(現実の拒絶)か生きる(現実の受容)か。
キキはロロの伏線1からぶれずに死を選ぶ。
物語的な存在であるおばあさんは、現実を捻じ曲げる(この、つらい運命をファンタジーに変換することこそ物語の効用である、ここは非常に物語的である)。死の運命を物語的に変える。
しかし物語における魔法には、常に代償や制約が必要であることも覚えて起きたい。
キキの4回転、現実の墜落死の物語的な変換。そして代償の支払い
代償をしはらったキキの空虚さ。たぶん喜ばしいと思っていない感。だって、彼女は実力で飛ぶとか自分の価値を感じられるような選択をしたのではなく、
「人の期待に応えるいい子」
であり続けて自分の価値を自分で問うことをしなかったから。
で、そのお話を踏まえて、2人でブランコするピピとルルの話を書いた記憶があるけど、2人ブランコの場合、上に大きく飛ぶ感じかなぁ、この動画見てると。
決定令和元年! 新時代サーカス・ショー、はじまる。郡山公演9.14〜11.10
今日は割と仕事をしたなぁ~と思ったのですが、14時くらいまで仕事をして、そのまま寝て起きたら22時でした。良く寝たにゃ~
今日もこれからがんばるぞ~!
犬に一日1チュール与えているのですが、めっちゃほにょほにょ寄ってきてかわいい。