電子の海でダンスを

あたまのゆるいシナリオライターの雑記帳。

年月の知

知っていることを知っているなあと昨日打ち合わせをしながら思った。

まぁ昨日は担当さんからの弁護士からの担当さんという打ち合わせ三連星みたいな日だったんですが、そこで一緒にストーリーで組んでる相棒とか新しい子とかとしゃべっていて思ったことだ。

私はある程度は賢いんだよなぁと思う。仕事で何かの提案を頼まれたり、交渉したり、物語を組み立てたり、あるいはそれを世間の諸問題と重ねたりあれこれ、人がある程度感心したり驚いてくれたりするような速度でできる。

だから特に私より若い生徒さんやら弟子やらは感心してくれるんだけど、でも、これはまぁ大学で勉強したのが社会系のことで、4年間そこである程度真面目に卒論でも書いたら、視座は広くなるから、あなた方が大学で学んだことと、実は同程度に賢いというだけの話で、特別なことじゃない。

私は、学ばなかったこと、美術や数学、化学、英語とかいろいろ、誰かが4年、本腰いれて大学で学んだものについては、同程度にはわからないので、だからそんなに感心しなくてもいい。単純に得手のジャンルだからわかるというだけの話。

 

あともう一つは、年月の知を感じる。22の子が私に感心してくれることがあって思ったけれど、私が22の時、私のような知識はなかった。長く生きるということは、その分学んだということだと思う。ずっと若いときにはこれは思わなかった。ずっと仕事やらなにからしてきて、年齢を経た知というのがあると実感することが増えたように思う。老獪という言葉があるが、私はこの言葉が好きで、なるほど私は老獪さを増したのではないかな、等思うのだ。

22の時の私は、今の弟子やら生徒やらと同じく、世間知らずで、知らないことがいっぱいあった。世界のいろいろなつながりも良く知らなかった。仕事をして、社会の中で生きて、人の心に触れて、そして長く仕事をして、ずっと深くなったものがあると感じる。

年を取るのが楽しいと最近特に感じる。まさかそんな風に思うようになるとは、まったく思わなかった。年を重ねることは若さを失うことであり、私はもっと若さに価値があると思うはずだと思っていたから。ああ、でも師匠にあったことも大きいかなぁ。あと祖母とか。師匠は70歳を過ぎていても本当にかっこいいし素敵な人で、それが年齢で色あせているようには見えない。往来の真ん中で白いスーツをきてこちらに手を振る師匠は、美しく絵になる紳士だ。祖母はどんなに皺があっても凛としていて、皺があるから美しくないとは思えない。写真に写る彼女を見て美しいと思う。素敵というか。二人が話す文化的な昔話が好きだ。まぁ私は知を通じて美を見出す人なのかもしれないね。

また人生の折り返し地点に立った時、また意見は変わるかもしれない。今の私にとって死に向かうことはまだ実感もなく恐ろしいとも思わない遠くの出来事で、ただ年月を重ねるたびに、私の中に広がるものが増えることが嬉しい。

これからも老獪に素敵に生きていこうと思う。

教養と知は、自らを助く、それが増えるのは、生きるのを豊かにすることと同義だ。

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